私は2009年8月に当時の社団法人二本松青年会議所に入会し、入会した当時は、私が理事長職をお預かりする立場になるとは予想もつきませんでした。20歳での入会ということもあり大人との接し方や話し方、礼儀作法など全く身に着けておらずまだまだ新米の社会人でありました。時には叱られ、「お前だけが忙しいんじゃない。みんな時間を作りながらJCをやっているんだ。だからお前も何とか時間を作れ!「若いからって何でも許されると思うなよ!!」など多くの叱咤をいただいた記憶もあります。LOMでは事業系の委員長を初めて受けた際には、事業を構築している中で根本的な不安がありましたが先輩には見透かされていたのでしょう。「失敗してもいいから自分のやりたいようにやれ!何かあったら何とかするから。」という魔法の言葉で後押ししていただき事業を全うすることができました。私に多くの学びや気づき、きっかけ、また、社会人としての生き方を教えてくださったのは間違いなく私の出会ったJCの諸先輩方です。
10年も在籍していると当初出会った先輩方はJCを卒業し、新しいメンバーや各地域のJCメンバーとの出会いなど多くの仲間に恵まれるとともに徐々に自分の役職が重くなってきているのに気づきました。2022年には福島ブロック協議会の最大の運動の発信の場であるブロック大会を二本松で開催し、私はブロック大会実行委員会委員長、2023年はLOMの専務理事を務めさせていただきました。2024年は日本JCのサマーコンファレンス特別委員会副委員長としてLOMの支えもありながら入会当時の私には考えられないほどの挑戦をさせていただきました。
このすべては入会から今に至るまで出会った先輩や周りの方たちの支えがあったからこそと思います。その大きな経験と感謝を胸に妥協することなく全身全霊をかけてJAYCEEとして、地域の一市民として、私たちが住み暮らす地域や次代を担う未来ある子供たちのために邁進します。
公益社団法人 二本松青年会議所
第52代理事長 深谷 勇人
近年、二本松市は二本松城報館の建築や工業団地の造成から誘致、サッカー専用グランド二本松グリーンフィールドなど多くの公共施設や商業施設の造作を手掛けております。地域資源であるこれらを活用し子供たちが健やかに育めるJCならではの運動が必要です。
社会情勢までも狂わせた新型コロナウイルスの拡散により外出はおろか人や知人との接触を避けなければいけない状況になり、子供たちは外で遊ぶことや実際に対面しコミュニケーションをとる本来経験することが出来る経験が不足していることは否めないと思います。だからこそ、子供たちが何を求め、地域資源を活かすには何が必要なのか、何をしなくてはいけないのかしっかり見極め行動することが大事になります。我々、大人が未来ある子供たちにとって最善の行動を行い事業を展開してまいります。
今の子供たちは2011年に発災した東日本大震災で発災した福島第一原子力発電所からの放射能物質の放出や想像もできない地震への恐怖、2019年には二本松でも多くの災害をもたらした豪雨災害、2024年は能登半島地震の発災で町が壊滅的な状態など多くの自然災害を目にし、経験した年代なのではないでしょうか。島国である日本は、いつ、なにが起きても不思議ではありません。自らが防災減災への知識を醸成させ、仲間と協力し合い困っている人に手を差し伸べられる大人にならなくてはいけません。そのために当事者意識を高める防災減災への知識を深める事業を展開してまいります。
1868年に起きた戊辰戦争では、12歳から17歳までの子供たちが家族を守りたくて、住み暮らす地域を守りたくて何も失いたくなくて、率先して行動した二本松少年隊の隊士たち。ただし、命というものは一度きりであり、親から授かった大切なものであることは間違いありません。
例年、当青年会議所では二本松市内の各小学校に対し、二本松少年隊の史実を伝えるべく二本松少年隊顕彰授業を実施しております。家族への愛や郷土愛への想いから成した勇気ある行動、そして、命の大切さや尊さを子供たちに我々は一人の二本松市民として二本松少年隊士の史実を二本松市内の子供たちに伝えてまいります。
当青年会議所だけでなく他団体も同じように会員の減少が長く続いている状態であることは否めません。原因はいくつか考えられますが一つの要因として、子供の減少から地域の活力というのが失われているのではないでしょうか。地域にとって子供たちは宝そのものです。
JCだからことできる地域を巻き込む事業を行い、同志を増やすことが必要なのです。組織は人によって作られ、人によって動き、その人たちが地域を照らす一助となるため会員の拡大は急務に行わなくてはなりません。
東日本大震災をきっかけにそれまで行っていた二本松少年隊花火大会も名称を変え開催されてきた「福幸祭」は今や二本松市民にとって秋の風物詩となっているのではないでしょうか。元々は二本松少年隊を顕彰することから始まった、この「福幸祭」は名前の通り福島の復興と幸せを願い歴代の先輩から受け継がれてきました。そんな福幸祭は今も地域の各企業様からの支えによって持続されていますが、近年の社会情勢から物価高騰により規模の縮小を余儀なくされています。また、会員の減少に伴い会員の一人ひとりにかかる負担が大きくなっているのも事実です。しかし、全てがデメリットではありません。福幸祭を開催するにあたり市民の方から「今年も福幸祭楽しみにしてるよ」「花火見に行くからね」「頑張ってな」という言葉や来場者からは笑顔が溢れ「来年の楽しみにしてるよ」「ありがとう」と嬉しい言葉をいただきました。福幸祭という事業は我々にとって苦しみながら試行錯誤し開催することにより自己成長に繋げ、会員同士の絆や感謝の気持ちを醸成することができます。本年も市民の皆様に笑顔を届けられる福幸祭を計画してまいります。
我々は仲良し団体ではない。自分の意見をぶつけ合うことでより良い事業を構築し、それらを発信し検証を行うことで単年度制である我々は次年度へとより高い位置でバトンを渡す。ただ、近年は少しでも楽をしたい、なんでそんなことをしなくてはいけないのか、なんて言う言葉も耳にすることがある。私たちがなぜ行動を起こし、なぜ事業をやらなければいけないのかを改めて考える必要がある。会員同士の向いている方向がバラバラでは何の意味もない。
我々は大前提として地域のために勇気を持って挑戦することで次代を担う子供たちに良い影響をもたらし、ともに成長し続ける団体ではなくてはならない。
私の父親は仕事一筋の人間であります。ただ、歳とともに仕事から離れている。しかし、仕事への情熱は誰よりも持っていると確信している。私が仕事で困っていれば知恵を貸し、成功の道へ導いてもらった。ただ、私が幼少期の頃は決して裕福な暮らしをできるような状態ではなかったが楽しい記憶ばかりがある。それは、姉弟が5人いて、父親ならではのぶっ飛んだアクティビティを考え家族を楽しませてくれたからだ。家族が困らないように一家の大黒柱として自分が苦しくても、嫌なことがあっても家族の道しるべとなるように支えて、そして、周りを笑顔にすることが何よりも幸せと思っている父親のように自分もなりたいと思っている。
自分が苦しんでいる中でも人を笑顔にし、自分を犠牲にしても人のために行動できる、苦しんでいる人には手を差し伸べられる人間でありたい。そして、理事長としてメンバーの道しるべとなり、メンバーとともに地域や子供たちのために歩み続けます。